警告のありがたさ

私が災害に遭ったというのは、七夕豪雨くらいですが、その年にうちの実家は門を新しくして裏の道より数センチ、以前よりは高くなっていました。

そのあと、七夕豪雨が起こったのです。

裏の道は川のようになってしまいましたが、その数センチ高くしてあったことで、道から水が入ってこなくて実家は浸水しなくてすみました。

父はお不動様一筋の人間でお不動様を一心に信じています。

お経だと小さい頃から信じて聞いていたものは大人になってよく聞いてみると父オリジナルのものでした。それを朝晩一心に唱えます。あとは親の言いつけをきちんと守っています。

父は90近いのですが、きちんと親の言いつけを守っているのです。

母子家庭でしたから、祖母は大変苦労しました。

一粒のお米も無駄にしないようにしゃもじから取って食べていた姿を思い出します。

お魚も小魚を一尾食卓にあげ、頭から尻尾まで全部食べるように父を育てたようです。

ご飯を食べ終わると茶碗にお茶を入れ、梅干しと一緒に食べますが、それでお茶碗まできれいにしてしまうのです。

そういうことが完全栄養食だったみたいで、同級生のほとんどが亡くなっていても元気に朝から晩まで動いています。

納豆も病気の治療のために禁止されるまで毎日食べていました。豆腐もかかしません。

野菜もよく食べます。

ご飯もびっくりするくらい食べます。

几帳面で必ずメモを取るので物忘れがありません。

姑もそうなのですが、必ずメモを取るので物忘れがありません。

私も最近はメモを取り、チェックしています。

また、物の置き場所を決めてあるので、よく年寄りが物を探すことをしますが、それがありません。

きちんと決めた場所にあります。

外出から帰るとまず最初にバックの中身を元あった場所にきちんと返します。

どんなに疲れていても必ずそれをしているせいか物がないと大騒ぎすることがありません。

私は横着を時するので、真っ青になり探します。(-。)

実家には貸家が遭ったのですが老朽化し、今にも崩れそうな状態でした。

私が早く潰して更地にしたほうがいいといっても、町で幸福の家という噂が流れていてその貸家に住むと

必ず家を建てられるみたいなことが言われていて、ボロボロでも貸してほしいという人が絶えなかったみたいです。

神言会さんの良心神の教えを学んでいたこともあり、いつ天災が起きてもおかしくない状態でもし貸家が倒れて怪我人がでたら大変です。

しつこいくらい親に潰すように言って、更地にしてもらいました。

翌年、震度5だったか6くらいの地震が起きました。

あなたの言うこと聞いて、潰しておいて良かった〜と親に感謝されました。

備えあれば憂いなし。

私は防災用品をもって嫁いだのでみんなに笑われました。

1980年代、本が出版され、富士山が噴火すると大騒ぎしたことがありました。

まわりには馬鹿じゃないかと笑われましたが、引っ越しの度に持って移動し、子供が生まれてからはミルクに紙おむつ、お水は欠かさず用意していました。

子供が遠くの学校に通学するようになれば、その経路やもし大きな災害が起こった時にはどうしたらいいのか常に考えていました。

子供が下宿するようになり、もう自分では守れない神様だわと初めて神棚を求め、八方除けの神様を祀っていました。

子供に言えばうるさがるので、神様に無事を祈っていました。

そうしたら、子供がトラックに撥ねられたのです。

ちょうど夕食の支度をしていたら、ガス台の上の灯りがジジジジと凄い音をたて点滅したのです。

電話が鳴り、子供がトラックに撥ねられ、意識がなく救急車で運ばれるとこだと連絡がありました。

血の気が引きました。

ところが不思議。かすり傷程度で済んだのです。

トラック街道で有名な場所で、また混雑する時間帯でしたが奇跡でした。

ありがたいと思い、神様に感謝しました。

聖書には最後の審判や世の終わりのことが書かれていて、熱心に良いたよりとして宣べ伝える業をされている方がいるので、これから起こることとして勉強しましたが、家族の反対もあり、その団体には入りませんでした。びっくりしたことに、地図を持っていられて、どこを宣教して歩いたか、塗りつぶしてあり、それが全世界で行われているということでした。最後の審判の時に知らなかった。とか聞かなかった。とか申し開きできないようにしているとのことでした。

それからこれでもかというほどの目に遭いました。

長く苦しみました。

表現すると、底なし沼に足を取られ、ズブズブと沈んでいく感じです。

負けまいと、時沼から顔を出し息を吸いますが、またズブズブと沈んでいく感じです。

苦しみながらも、家族がいて生活があるので、なんとか生きていました。

表面上は()していたので、親たちには明るくて助かるわと言われましたが、内面はボロボロでした。

泣くときはお風呂の中か、聖書を抱きしめて泣いていました。

一巡する頃、一巡するとなにかわかるという言葉から、なにか起こるという気がしていました。

そして、ある人の後ろに光を観ました。

その光を観た瞬間、漬物石みたいに重くのしかかっていたものがサーと離れていくのを感じました。

それからウオーキングをはじめ、7キロ痩せました。

ウオーキングの途上、近くの神社へ参拝するようになりました。

その頃は自分のまわりの人の幸せを祈っていました。

観た光について、その光はこれから起こることに連動していると言われました。

そうしたら、友人の癌の再再発を知り、医者を紹介して、自分は出雲へ飛んだのです。

初めての一人旅でした。

また、家を留守にするのも初めてでした。

4泊5日で22社寺まわりました。

その時は不思議と主人が賛成してくれて、突然なのに行けたのです。

友人はその後、再発することなく元気になり、再会を喜びました。

その後、神之公園さんが参加されている掲示板を覗き、御縁を頂きました。

心神の教えを学びつつ、近くの神社でイロハひふみアオウエイと毎日奏上するようになりました。

そのほかにも世界平和を祈ったり、世界の病気の人のために祈っていました。

その頃、命を狙われたらしいのですが、御神霊が助けて下さったそうです。

お世話になった神通力者さんがおっしゃるのに、他者のために祈っていたから命を助けていただけたのだよ。自分のことを祈っていたら死んでいた。と。

その頃は、祈りも変化して、感謝行になっていて、全体的なことに対して祈っていました。

霊能者の方たちに言われたのは、感謝行ができる人が少ない。感謝行で神社仏閣へ行くと御神霊がとても喜ばれるということです。

聖書などによれば、祈る前から個人的なことは知っていらっしゃるので個人的なことを祈る必要はないのですね。

最近は滅多に神社へ参拝しませんが、なにか必要がある時は呼んでくださるようです。

私は霊能者ではないので、見えも聞こえもしません。

なので、家族などの口を借りて私に伝えられるようです。

家族に頼まれた御朱印を集めるためにお参りしたようでいてそうではなかったみたいです。

近くの神社からお参りするように言われていたので、お参りしたら宮司さんが立派なお榊の植木を2本くださり、そのあと、近くの稲荷社で葛湯を頂き、車に乗せたまま一宮から順に六社お参りしたのですが、

どこもその日は素晴らしく感謝でいっぱいになりました。

あとの経過を見ていると、そうなのかもなー?と思いますが、自分にできることをするでいいようです。

私のようなものは知らなくて良いことなのだと思います。

神言会さんが良心神の教えに従う者は、天帝が守ってくださるとおっしゃっていました。

以前、就寝中に首を絞められたことがあるのですが、七色のカーテンみたいなのが左から右へ流れ、遮断してくれました。

その時に神言会さんにこういうことがありましたと報告したら、2体の龍王のお名前をおっしゃり良心神の教えに従う者は守ると告げられたと教えてくださいました。

常に自分を省み、日改善していく。

天帝に感謝し、天帝の大御心を実践していくことが大切だなと思いました。

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